句会【亜流里】風羅堂の俳人たち
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播磨芭蕉忌フェスティバル 第二回 2008年10月12日

  第六回 2012年11月18日
  第五回 2011年11月6日
  第四回 2010年11月13日
  第三回 2009年11月28日
第三回 第二回 2008年10月12日
  第一回 2007年10月13日
<特選 一般の部>
旅先に拝す露けき芭蕉像 岩城久美
秋桜船酔のごと岬なり 堀尾美代子
逸る子にもんで履かせる祭足袋 笠原 了
ひと呼吸するたび花になる水母 釜田きよ子

<特選 学生の部>
たちのぼる入道雲は竜の巣だ 夢前中三年 住田 朗
今はなき堂の跡地に蝉しぐれ 福崎高三年 草壁明日香

以上 おめでとうございます。

姫路出身の商人、俳諧師であった井上千山(風羅堂三世)は向井去来を通じて松尾芭蕉を姫路へ招く約束をしていたが、芭蕉の死により実現しなかった。
芭蕉の弟子であり、後継者といわれた広瀬惟然(風羅堂二世)とも交流があり、惟然から芭蕉像や遺愛の蓑などを譲り受け、姫路へ持ち帰り、増位山随願寺安城院に納め、蓑のこぼれで蓑塚を築いた。
千山の息子、井上寒瓜(かんか 風羅堂四世)は、芭蕉の遺品の管理場所として芭蕉の五十回忌に、随願寺念仏堂裏手、太子谷に風羅堂を建てた。
以後、風羅堂は、芭蕉を風羅堂一世として、蕉風俳句の西の道場となり、播磨の俳人のみならず多くの俳人達の集う場所となっていく。
風羅堂は明治七年、流行病発生により焼却処分され、池内赭邱(しゃこう風羅堂十一世)を最後に芭蕉が訪れもしなかった、播磨の地に、惟然、千山から綿々と続く芭蕉の系譜、受け継がれてきた蓑と笠、130年前に廃屋となった風羅堂のことを知っていただきたい。
風羅堂跡
2008度の優秀作品句碑

風羅堂跡
2008度の優秀作品句碑




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