句会【亜流里】風羅堂の俳人たち
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播磨芭蕉忌フェスティバル 第三回 2009年11月28日

  第六回 2012年11月18日
  第五回 2011年11月6日
  第四回 2010年11月13日
第三回 第三回 2009年11月28日
  第二回 2008年10月12日
  第一回 2007年10月13日

第三回播磨芭蕉忌フェスティバルを、芭蕉翁の旧暦の命日である11月28日(土)姫路文学館での開催しました。



<特選 一般の部>
のぼり窯跡と聞きしが真葛原   大阪市 村井津哉子
月天心鯱は鱗を鎮めおり      姫路市 植原嘉栄
千山の墓のちさきよ木の実降る  姫路市 板谷繁
水浸く稲抱き起こしては刈り急ぐ  高砂市 中野はつえ


<特選 学生の部>
母の日にありがとうってつたえたい  岡崎蓮(小学5年)
たんぽぽの綿毛ふわふわ親離れ   上川双葉(中学3年)


以上 おめでとうございます。

【第一部】 午後2時〜2時45分
姫路風羅堂俳句大会 入選作発表・表彰式

選 者
小路紫峽(兵庫県俳句協会顧問・俳誌「ひいらぎ」主宰)
原 英俊(高砂市俳句協会会長・句会「亜流里」指導)
井上志朗(西播俳句協会代表)
中嶋常治(「青門」編集同人・句会「亜流里」顧問)

 



【第二部】 午後2時45分〜4時
講演会「風狂の俳人 広瀬惟然」

講 師
沢木美子(岐阜県関市弁慶庵惟然記念館)





惟然は、芭蕉の門人で、芭蕉没後は蕉風俳諧を広めるために風羅念仏を唱えて全国を行脚し、芭蕉の追善にもつとめた。
惟然風といわれる軽妙な口語調俳諧を得意とした。鬼貫とも親交があり、元禄15年(1703)には播磨に行脚。
このとき入門した姫路の千山は師の口語調俳諧の普及に努め、口語調俳諧が播磨、山陽地方に広まるきっかけとなった。
姫路の風羅堂一派は、この人を祖とするといえる。
惟然が所持していた、芭蕉像や芭蕉遺品と称する什物(簑や笠)を千山が受け継ぎ、記念の塚を建て、千山の子寒瓜が風羅堂を建立している。
この俳系を風羅堂一派と称し、姫路俳諧の中心となって、昭和にいたるまで続いた。
■主催/句会 亜流里(あるさと) ■後援/西播俳句協会 姫路市 姫路市教育委員会 (財)姫路市文化振興財団 常民学舎

昨年の講演会では、播磨に訪れることのなかった芭蕉の遺品がなぜ姫路にあるのか?というお話を、また、俳句大会では一般の部で170名 700句、学生の部では350名もの小中高生から投句をいただく事ができ、講評や表彰式を行いました。たくさんの投句に、風羅堂を通して綿々と続いてきた俳句の流れはこの地でまだまだ続いているのだな、と実感致しました。なお、本年も特選句につきましては、木の句碑を作成し、増位山随願寺ご住職のご厚意により、風羅堂跡にて一年間顕彰することになっております。
皆様の投句、お待ちしております。夢の「風羅堂」再建へお力添え、どうぞ宜しくお願い致します。


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